「よく分からない」というイメージを居間で楽しさにつなぐこと

3月9日からの2週間、海老さんは粕川の方々の家にホームステイし、朝昼晩のご飯をどなたかの家の居間で食べさせてもらってきました。

元々知り合いではない人のご自宅に、半ば無理矢理お邪魔している今回のケース。ホストの方々にとって、なぜ海老由佳子がここにいるのか、っていうのがけっこう重要なコンテクストだと思います。もちろん何も言わずに受け入れてくれる方もいれば、(ごく自然なこととして)ある種の警戒をし、素性を聞いて来る方もいたようです。食卓を囲む時間は、そういった会話をするのに、ちょうど良い時間のようで、日数を重ね、食事の回数を重ねる毎に、海老さんと地元の方々の距離が縮まっているように感じました。

レジデンスをさせていただいた坂木さんと内山さんち以外に、牛乳農家の磯田さん、東京出身で織物や自然農法で暮らしている長田さんのご自宅にもお邪魔させて頂きました。14日からの内山邸滞在中の4日間、朝6時に磯田さんちへ行き、9時まで牛のお世話を手伝い、その後長田さんちへいき、織物のことを聞くというサイクルができていたようです。

僕たちアーティストが現代アート作品を作るということと、僕らアーティストを含む人々の日常生活は、かけ離れている、そこにつながりがなく浮かんでいるもの、というイメージが常にあるのではないでしょうか?でも僕らアーティストにも、日常生活というのはあり、毎日おおよそ3度の飯を食い、家族や友人達と話をします。その日常生活の中からの感動、感覚から、作品のテーマ、または作品そのものが生まれます。アーティストインレジデンスプログラムがスタジオを公開することのひとつの意味は、制作段階を来場者に公開すると、難解に感じるような作品も実は些細な日常の気付きなどから始まっている、というのを一般の方々が知ることができることだと思います。
このように、その土地に滞在しているアーティストが、なぜだか自分の家にやってきてご飯を食べている。なぜだかはよく分からない。けど、何か理由はあるだろう。そして何か面白い気がする。まあよく分からないが、楽しそうだからいいだろう。
よく分からないことを分かるためには、よく分からないことと楽しさを想像力の糸でつなぐ必要があるように思います。今回海老さんが作っていた色見本と、食卓は、そのための糸口になっていたのではないでしょうか?



そして、多くの人は、趣味を持っています。磯田さんのお母さんは、はがきを写真のように染める趣味を持っているそうです。坂木さんのお父さんの趣味も「絵を描くこと」でした。美術とは関係のない仕事や生活をしていても、生活のどこかに、何かを表現したいという欲って少なからずあると思います。そういう小さな表現欲や、生活レベルの表現が、僕らアーティストの表現、表現するための時間と交わることは、お互いにとってとても刺激があることです。家族と時間を過ごし語らうための居間という場で、お互いの表現や趣味について語り合う時間は、生活の豊かさをイメージ化し、様々なアイデアのきっかけを生んでいくのではないでしょうか。


<なかじま>