糸口を結び目にする

『はなれおもや』が終わってから早くも1ヶ月以上の時間が流れました。未曾有の大震災のあと、日本で生きる事の意味が大きく変わっていく中、僕たちアーティストもアートの意味、アーティストの意味を必死で考えています。変わってしまう事と変えなければいけない事がめまぐるしく立ち現れては流れていきますが、僕たちは、はなれおもやの短い時間に見つけた小さな糸口を、今日とこれからに結びつけていかなければいけません。

桐生で織物を制作していらっしゃる板野さんの工房を訪ねました。板野さんとは、はなれおもやの期間中に出会いました。カジュアルな雰囲気でお教室をやっていっらっしゃる工房をお借りして、海老も織り体験。頂いたアドバイスと独自のアイデアを文字通り絡めあいながら、体験的にシルクのざっくり編みストールを制作しました。

初めて見た織りは、鶴の恩返しの物語にでききたと思います。誰でも簡単に扱えるように設計された織り機を使っている海老さんを見ていると、鶴に見えてきます。
そういえば、はなれおもやの坂木邸のおばあちゃんヨネさんのお友達はツルさんでした。

さて、こんな感じで仕上がりました。今回は体験と言う事で、染められていない白い絹の糸で織らせて頂きました。今後これをどこかで染めるかもしれません。

ちなみに次回はふんどしを織りたいそうです。


<なかじま>

3/13(日)の写真

 大震災の影響もあり、3/13(日)のイベントは中止としましたが、メンバーで集まり、なすのハウスに行ったり、散歩をしたり、染め物をしたりなどを楽しみました。また、イベントチラシを見た近所の方が来てくれたりもしました。

参照:13日のイベント中止のお知らせ - 出来事のホームセンターふぞくアーティストインレジデンス vol.1 海老由佳子『はなれおもや』の出来事
   出来事の集まり - 出来事のホームセンターふぞくアーティストインレジデンス vol.1 海老由佳子『はなれおもや』の出来事



































































今回のイベントの写真は以上です。


いの

3/10(木)の写真

 つづいて、3/10(木)の写真です。この日は地区の集会所まで歩いていきました。
参照:地区の集会所へ・二日目 - 出来事のホームセンターふぞくアーティストインレジデンス vol.1 海老由佳子『はなれおもや』の出来事












































































いの

3/9(水)の写真

 フィルム・カメラで撮った写真の残りの現像をやっとしました...ということで、写真をupしていきたいと思います。撮った日別に分けてupします。


 まずは、3/9(水)の写真です。
 参照:初日 - 出来事のホームセンターふぞくアーティストインレジデンス vol.1 海老由佳子『はなれおもや』の出来事



















いの

「よく分からない」というイメージを居間で楽しさにつなぐこと

3月9日からの2週間、海老さんは粕川の方々の家にホームステイし、朝昼晩のご飯をどなたかの家の居間で食べさせてもらってきました。

元々知り合いではない人のご自宅に、半ば無理矢理お邪魔している今回のケース。ホストの方々にとって、なぜ海老由佳子がここにいるのか、っていうのがけっこう重要なコンテクストだと思います。もちろん何も言わずに受け入れてくれる方もいれば、(ごく自然なこととして)ある種の警戒をし、素性を聞いて来る方もいたようです。食卓を囲む時間は、そういった会話をするのに、ちょうど良い時間のようで、日数を重ね、食事の回数を重ねる毎に、海老さんと地元の方々の距離が縮まっているように感じました。

レジデンスをさせていただいた坂木さんと内山さんち以外に、牛乳農家の磯田さん、東京出身で織物や自然農法で暮らしている長田さんのご自宅にもお邪魔させて頂きました。14日からの内山邸滞在中の4日間、朝6時に磯田さんちへ行き、9時まで牛のお世話を手伝い、その後長田さんちへいき、織物のことを聞くというサイクルができていたようです。

僕たちアーティストが現代アート作品を作るということと、僕らアーティストを含む人々の日常生活は、かけ離れている、そこにつながりがなく浮かんでいるもの、というイメージが常にあるのではないでしょうか?でも僕らアーティストにも、日常生活というのはあり、毎日おおよそ3度の飯を食い、家族や友人達と話をします。その日常生活の中からの感動、感覚から、作品のテーマ、または作品そのものが生まれます。アーティストインレジデンスプログラムがスタジオを公開することのひとつの意味は、制作段階を来場者に公開すると、難解に感じるような作品も実は些細な日常の気付きなどから始まっている、というのを一般の方々が知ることができることだと思います。
このように、その土地に滞在しているアーティストが、なぜだか自分の家にやってきてご飯を食べている。なぜだかはよく分からない。けど、何か理由はあるだろう。そして何か面白い気がする。まあよく分からないが、楽しそうだからいいだろう。
よく分からないことを分かるためには、よく分からないことと楽しさを想像力の糸でつなぐ必要があるように思います。今回海老さんが作っていた色見本と、食卓は、そのための糸口になっていたのではないでしょうか?



そして、多くの人は、趣味を持っています。磯田さんのお母さんは、はがきを写真のように染める趣味を持っているそうです。坂木さんのお父さんの趣味も「絵を描くこと」でした。美術とは関係のない仕事や生活をしていても、生活のどこかに、何かを表現したいという欲って少なからずあると思います。そういう小さな表現欲や、生活レベルの表現が、僕らアーティストの表現、表現するための時間と交わることは、お互いにとってとても刺激があることです。家族と時間を過ごし語らうための居間という場で、お互いの表現や趣味について語り合う時間は、生活の豊かさをイメージ化し、様々なアイデアのきっかけを生んでいくのではないでしょうか。


<なかじま>